新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が蔓延している世界で思うこと。
緊急事態宣言が解除されてから、学校も行っているし、バイトも行っている。
新たな日常を受け入れて、支障がない程度に生活できている。
街に流れている人を眺めながら、ふと「これが普通になっていくのかな」とぼんやり思った。
三密を避ける、ソーシャルディスタンス、マスク、手洗いうがい。
制約はあれど守っていれば感染する、させる“リスクは低く“なる。
まだ未知数の訳もわからない感染症のことをちょっとずつ調べて知ろうとして、もうすぐ半年になる。
日々感染者が増え続ける中で、マスクをしたり居酒屋に行くのを躊躇ったり、
ずっとこんな感じが続くのかなと悲しくなった。
確かに4月5月に比べて自由度は高くなったけど、求めてた自由はもっともっと遥か先にあるように思う。
私がただの“人“だったらこんなに憎く思うことはなかったかもしれない。
誇れるようなことも自慢できることもないけれど、ひとりの“エンターテイメントを愛する人間“なので、
早く従来の方法で従来通りにエンタメを楽しみたいと切に願う。
ライブも舞台も配信など新たな試みがたくさん開催されていて、
配信も楽しんだけれど生のパフォーマンスとどうしても比べてしまう。
それはきっと私自身が生パフォーマンスが好きなのと、生での満足感を味わっているから。
どうしても距離を感じてしまうし、独特の一体感がないだけで全然違う。
終わった後の楽しすぎて言葉にならない感じとか素晴らしさに放心状態なのとか、
何にも覚えてないけどめちゃくちゃ楽しかったあの感覚に懐かしさを抱いてる。
懐かしくなるくらい時間が経っていることに恐怖だし、
4月5月はまじめに記憶がないから考えることをやめて脳が停止していたんだと思う。
考えることと言ったらライブが延期だとか舞台が中止だとかで、
どんどん暗くなる未来のことなんか考えてたら体おかしくなるわ。
大きなターミナル駅で人の流れを見ながらエンターテイメント摂取したくなってマスクの下ですすり泣いた。
嬉しいことや楽しいことを共有したいと思うのも、悲しさや寂しさを埋めてくれるのも、
全部全部エンターテイメントがあるからだ。
芸術や文化を生み出す人はたくさんいるけれど、作り手になりたいと思ったことはなくて、
きっとずっと一生、受け手であって観客でありたい。